「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 歴史から先見の明を養う

学校で学ばないこと

歴史を学ぶことの重要性

 私は義務教育の間、「歴史」というものに興味がないうえになぜ歴史を学ばなければいけないのかという疑問にかられていました。
過去を学ぶことよりも今や未来を見据えるべきではないか、過去を振り返りそこから何を学び何を生かせというのか、はたまた義務教育のマニュアルとして「ただ」学んでいるだけなのか理解することができませんでした。
当時の私は歴史の授業中に感じていたことは、なぜ歴史の出来事や人物名を暗記しないといけないのか、そしてそれらを暗記したかどうかのテストで順位付けをするのか全く理解することができませんでした。
義務教育を経て就職し安定した生活を送り、将来どうしようか考えていました。
しかし時代はコロナ禍となり未来がどうなるのかが見えない今、ふと「歴史」というものについて考えてみることにしました。

自分が生きている時代が見えてくる

 将来がどうなるか想像することができなくなった分、過去のについて考えるようになり、いつの間にか歴史を学ぶようになりました。そうすると先祖の時代、祖父母・両親の時代が見えてくるようになり、どのようにして自分自身がこの時代に生きているということが見えてくるようになりました。祖父母や両親が働き盛りだった時代と今、令和という時代では大きく日本経済の状況が大きく変化しているのにも関わらず、日本国民自体はあまり変化していないように感じます。むしろ変化するような教育を受けていないという方が適切かもしれません。

高齢化社会となり高齢者1人に対し1.4人で支えなくてはいけないのに関わらず出生率が年々低下し続けています。出生率の低下は結婚する人口が減っているということと同じことを意味しています。結婚しないということを選択した方の中には金銭的な問題で結婚できないという方も多くいます。
日本の教育では社会人になるまでのプロセスや社会人になった後のことについては教えてくれません。さらに社会情勢というのは時々刻々と変化しているので両親世代の方から経験でアドバイスを貰うことも難しくなっています。どのように収入を得るべきか、はたまた自給自足をするべきか、どこを生活拠点とするべきか、何を買い何を食べるべきか、両親は今後どうするのかなど学生から社会人になるときにそれらの課題を突き付けられます。そしてその課題は社会人になってからもつきものですが、なかなか解決することができないものもあります。
それは選択肢が広すぎるということと自分自身どうするべきか判断できないからだと思います。
選択肢が広すぎると人は判断することをやめてしまう傾向があるそうです。それに加えて自分自身で判断するということができない、自分自身で判断することをしたことがないからそのようになるのだと思います。
つまり、急速に変化する社会情勢に対し生き抜く力を養うことが大切ではないかと思います。

幅広い文化に触れ、自分の生活に役立てる

 幅広い文化に触れること、学ぶことが重要だと思います。学ぶことにより自分自身の固定観念を捨て、今までのようにということではなく、本来どうあるべきなのかということを考えることができるようになります。
親から公務員になれと言われたからやむなく公務員にということではなく、自分自身の人生、どのように生きていきたいのか、より多くの幸せを感じるためにはどうすればいいのか考え自分の生活を豊かにするべきかなと思います。時間とお金は有限ですので、時間を無駄にせず、お金をかけずにどうすれば自分自身に幸福感をあたえることができるか、自分自身を見つめ直すことが何よりも大切だと思います。

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