悩みを哲学的に考え解消してみては?①

学校で学ばないこと

みなさんは解消することが出来ない悩みを抱えていませんか?

将来が不安、お金が欲しい、きれいになりたい、死ぬのが怖い誰でもこのような悩みの1つや2つはあるはずです。ですが、こういった悩みは、実は私たち現代人に特有のものではなく、はるか昔から私たち人間を苦しめてきた人類共通の悩みです。であるならば、およそ2000年に及ぶ哲学の歴史の中で、哲学者たちはすでにこれらの悩みに答えを出しているはずです。そこで哲学者が導き出した考えに基づいてこれらの悩みを解消していこうと思います。

ダイエットが続かなくて辛い

皆さんは功利主義という哲学をご存知でしょうか?産業革命期のイギリスで提唱された考え方ひとつで生み出される幸福の量が増大する行動こそ正しく、苦痛の量が増大する行動は間違っているという哲学です。正しさよりも快楽の量を重んじ、内容やプロセスよりも結果を重んじる、ある意味厳禁な哲学であると言えるでしょう。経済が発展し、人々の生活が豊かになった時代を反映する哲学であり理性やモラルはなく、快楽と苦痛によって生きているというも、蓋も無い人間理解を土台にしています。このような考え方は欲望に突き動かされる現代の私たちにも通じるのではないでしょうか。
そこで功利主義に基づいて、私達がなぜダイエットをつけられないの考えてみたら面白いかもしれません。功利主義的に考えるとダイエットが続かないことや、ダイエットをサボること、また一種の快楽が原因だということになります。甘いもの、夜食を我慢せずに食べる間というのは強烈なものがあります。痩せようと心に決めたもの。どうしても深夜にラーメンが食べたくなるという強い欲望時に自分は痩せるんだという理性の働きを凌駕してしまいます。このようにダイエットが続かないことは、功利主義によればそれほど強い快楽だからしょうがないということになってしまうんです。このように正しさや良さを追求する哲学の伝統を打ち破り、人間本来のあり方に迫って快楽というものを見た効率が確かに理にかなった考えかもしれませんが、これはダイエットが続かない私たちの根源的な悩みは解決されません。そこで登場するのが、19世紀イギリスの哲学者JSミルです。ミルは功利主義の生みの親、ジェレミベンサムの思想を深化させ、功利主義の考えをよりバージョンアップさせた。快楽には量だけではなく質もあると唱えました。人は二つの快楽が目の前に、質の高い方を選ぶのだというのです。高級な快と低級な快どちらも知り、どちらも感じられ、享受できる人々が高級な快をきっぱりと選び取ることは疑いのない事実である。動物の快楽がたっぷり与えられると約束されて何かの下等動物に変わることに同意する人はまずいないだろう。つまり、食べたいものを我慢せずに食べてしまうレベルの低い動物的な快楽に対して、高いレベルの快楽があることを知っているなら、後者の快楽を選ぶとされているんです。ダイエットであれば、目の前の甘いものや深夜のご馳走を我慢することで得られるいるものがあれば、それが高級な快楽ということになるでしょう。それは食事を減らしてぽっこり出たお腹を引っ込めることで引き締まった自分になれたという達成感やダイエットすると決めた自分との約束を守れということで得られる自信もあるでしょう。もしこのようなビルの考えが正しければ、ダイエットを続けるためのヒントになるかもしれません。なぜレベルの高い快楽を知る者は低い快楽を選ばないと言い切れるのでしょうか?人は理性によってではなく、快楽によって生きているという功利主義の前提によれば、高級な快楽の方が低級な快楽より快楽が強いからでしょうか?目の前の美味しいもの誘惑に負けるより、苦しくてもなりたい自分になる達成感の方が快楽と言えば、確かに話しては美しい感じがします。しかし、本当にシェイプアップすることによって得られる達成感は目の前のご馳走を断つにたる快楽と言えるのでしょうか?これについてミルは次のように唱えています。下劣な存在に身を落としたくないというためらいについてはなんとも説明できるだろう。だが、それに一番相応しい呼び名は尊厳の感覚である。人間はだれでも何らかの形で尊厳の感覚を持っており、高級な能力とある程度比例している。この感覚が強い者にとっては尊厳と衝突するものは全く欲求の対象となりえない。人はひとたび、高い快楽を知ると低い快楽に戻ろうと思わなくなりました。快楽を知る者は低い快楽で満足する下劣な存在に落とそうなどとは考えなくなるんです。それは自分は快楽を知っているという尊厳、つまりプライドがあるからです。そのプライドが目の前にあるカロリーたっぷりの甘いものや脂っこいものを我慢させるんです。目の前の欲望を一度でも我慢して、その結果、なりたい自分という旅に上り詰めた経験をした自分自身のプライド、それを記憶に刻み付けたことが目の前の誘惑を我慢する支えになります。そのことをミルは次のように例えています。満足した豚であるより不満足な人間である方が良く、満足した馬鹿より不満足なソクラテスの方がいい。そしてもしその馬鹿かなり豚がこれと違った意見を持っているとしても、それは彼らがこの問題について、自分たちの側しか知らないからに過ぎない、不満足な人間は両方の側を知っている。ダイエットを続けるには、ダイエットを一度でも意地でも続けてみたことがあるという成功体験があることが必要になります。その成功体験が高い快楽となり、自分に低級の快楽を我慢させダイエットを続けるためのプライドとなるのです。しかし、今まで一度もダイエットに成功したことがないという人はどうしたらいいのでしょうか?ミルの理論に従えば、ダイエット以外で目の前の誘惑を我慢して何かにやり抜いた成功体験を思い出せばいいのです。誰だって、これまでにきっと誘惑に向かって何かをやり遂げた経験があるはずです。そこでプライドを思い出して、あなたを襲う甘い誘惑をきっぱりと断ってみてはいかがでしょうか?

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